断捨離を初めて、はや一年以上が経ちました。
身の回りはずいぶんと片付き、過去からは考えられないほど身軽になりました。
職場でも「断捨離ガール、捨てすぎたらあかんらしいぞ」と心配されることがあります。
そんな私にも、手放せないものがあります。
運命の手紙を受け取ったときから
今でも、鮮明に覚えています。
幼稚園のお友達からもらった手紙。
そこにその子のお姉さんが描いたという、可愛い女の子のイラストがありました。
少女漫画タッチの、きらきらした瞳はひとときに私の心を掴みました。
だからその日から、園で開催される絵画教室のときも、家に帰ってからも、女の子の絵を描き続けたのです。
ひらひらレースのついたドレスを着た女の子を。
「同じものばかり描くのね」と呆れられながらも、たくさん。
それから20年近い、時が流れました。
真っ白なじゆうちょうを何冊も費やした小学生の頃。
毎日飽きることなく机に向かい、創作話をした中高時代。
周りの才能にすり切れ、苦しんで、小説へ舵を切った大学時代。
それでもこっそり、悩む言葉の隣にはイラストを描いていて。
ずっと、傍らには「つくること」がありました。
何度も蓋をした気持ちに
「絵を描くことが好き、物語が好き、つくることが好き!」
まっすぐな言葉の裏には、いつも暗い気持ちが張り付いていて。
人の目を気にしつづけた私は、社会人になる頃にはもう「つくる」気持ちに蓋をしようとしていました。
背中を丸めて白い紙に向かう時間は、ほとんどなくなってしまっていたのです。
会社でも、つくれることをあまり表に出さずにひっそり生活していました。
そして断捨離に目覚めて、旅に出はじめて、インドアから似非アウトドアに。
でも、どれだけ整理をしても。
画材と、過去のノート、そして高校・大学時代の部誌だけは部屋に残りました。
あまりに恥ずかしい分だけでもいい加減と思っても、なかなか手がつけられないのです。
そんな私を見て、母が言いました。
「あんた、今までずうっと描いてきたやん? それを無理に手放さなくてもええでしょ」
彼も「それはゆのさんを構成しているものだよ」と。
いつの日かなくしてしまった運命の手紙が、再び手元に届いたようでした。
明日は、明日こそ。ブログか、イラストを描こう。ゆのさんが続けていて力になることは絵だと思う、と言ってもらえたのが本当に嬉しかった。自分の20年まるごとだから。つたないけどすきなこと、続けたいです。
— ゆのじ (@hiromyarm) 2016年10月24日
最後に残ったものはきっと
なかなかうまく時間を作れませんが、それからはつくることに素直になってみました。
仕事でも画像作成を今までよりも凝ってみたり。
落書きや作品をつくる機会を増やしてみたり。
そうすると少しずつ、様々なきっかけが訪れるようになったのです。
うなりにうなったデータ作成も終わって脱力。整理したり、耕したり別のことに挑戦してみたからこそ、好きなことに向き合えるようになったのかもしれません。仕事に使ってみたり、活動してみたり。漫然と好きだったことを活用する術が見えてきました。
— ゆのじ (@hiromyarm) 2016年8月28日
ミニマルに減らしてもやめられなかったこと、捨てられなかったモノ。
総量を減らした結果、大事なモノの占める割合が増えたのかもしれません。
ノイズが減って、大事な言葉に耳を傾けることができたのかもしれません。
時間がかかりましたが、ようやく素直に言えるようになってきました。
私、ゆのじは「つくること」が大好きです。
私なりの、私だけのアップデート
でもまだまだ悩むことも多くて。
最近も、自分を高めないとと迷走していました。
方法も分からずやみくもに走って、迷って転んで泣いていました。
「つくる」を軸に考えて、先日新しいイラスト作成ソフトを導入しました。
新しい技術を学ぶのが好きなので、わくわくが止まりません。
どんなものさしでも計れないことだけれど、自分なりに磨こうと思った結果です。
捨てられなかったこと、やめられないこと。
もう一度、磨いてみようと思います。
わたしアップデート、はじめます!
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ずっと書きたくて、けれども書こうか悩んだ、私的な記事でした。
今書けてよかったなと、思っています。
読んでいただき、ありがとうございました。
宛先のない手紙を書くように、これからも私はつくりつづけるのでしょう。
誰かに届くのならば、こんなに幸いなことはありません。
ゆのじ