ひとひろ

日常より、もう少し深いところへ。ひびのこと、たびのこと、ならのことを綴ります。

ひとひろ

ひむがしの野にかぎろひの

お久しぶりです、ゆのじです。
しばらく休んだ後に学校や職場に行く、あの妙な気恥ずかしさを持ちながらキーを叩いています。
伝えたい光景も、紡ぎたい言葉もたくさん溢れていたのですが、衝動を形に出来ぬまま時間ばかりが過ぎてしまっていました。
これは、いつにもましてとりとめのない、ただの定点観測です。

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思えば万事において「きちんとしなければ」という想いに縛られていました。
それは、多分ずっとずっと昔から。

「ひとひろ」は何のための場所なのか?
それをはっきりさせないことには。イラストを描かなければ。
奈良を伝えたいと思うならば、きちんとした情報を。
よく分からない言い訳が口をついて。
そうして「記事を書く」ボタンを押してはやめ、無為に過ごす日々でした。

私生活でも、色々と変化がありました。
自分が過去に積み上げてきたものに、泣き暮らすという悪循環。
未来から全力で逃げて、全部壊しかけていました。

でも、なんだかそんな自分が面倒になってきたし、履き違えているなと思うこともしばしばで。
やりたいことを押し殺す必要なんかどこにもないんだな、と。
私は奈良が好きで、つくることが大好きで、好きなひととそうやってまぁるい場所をつくっていきたいんだ。

じゃあ自分から、日常よりも深いところに飛び込んでみなければ。
真摯に生きるべきところは「きちんと」も大事かもしれませんが、己の中のやんちゃな心も忘れないようにしたいです。
淵を覗き込んで、後ずさりしても何も始まりませんものね。
これからはもうちょっと、はみ出してみようと思います。

nyansu-nyan.hatenablog.com

復活の兆しを前にしてなお動こうとしない自分に、深く刺さる言葉でした。
にゃんすさん、ありがとうございます。

 

東の野に炎の立つ見えてかへり見すれば月傾きぬ――柿本人麻呂

明けない夜はないのです。
ゆるゆる、自分らしく、一歩ずつゆくとします。
明日の私は、今日の私よりも、素敵になりたいな。
読んでいただき、ありがとうございました。

 

ゆのじ