忘れもしない。
あれは幼稚園に通っていたころのこと。
私はスーパーの試食コーナーを食べ歩くのが好きで、買い物に行くたびにそわそわと売り場を巡っていた。
その日もいつものように、青果コーナーから。
目についたのはひとくち大のオレンジ色の果実、でもみかんとは違う?
いぶかしみながらそうっと口に含む。
瞬間広がるのは、思っていた酸味とは違う、甘くてちょっと青い香り。
顔をしかめて、思わず母に「これ何? にんじん?」と聞いたのを今でも覚えている。
それが私の、柿とのファーストコンタクト。
第一印象は、最悪だった。
そうして大人になるまで、柿はどちらかというと苦手な食べ物だった。
食べようと思えば食べられる。
ただ、好んで食べないというだけ。
家族もそれを知っているので、あのオレンジ色が食卓に並ぶことはなかった。
しかし、今年はそうも言っていられない。
『柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺』
そう。私が結婚したのは柿の一大名産地、奈良県のひと。
私は、奈良県民になったのだ。
正直、奈良県の柿の流通ぶりをなめていた。
庭先でたわわに実る果実たち。
結果、スーパーの青果コーナーに山積みになるのはもちろんのこと。
カフェの店先に「ご自由にどうぞ」なんて積んである。
出かけてゆけば、誰かからいただく。
おすそ分けがおすそ分けを呼んで、あっという間にキッチンに溢れる、鮮やかな色。
柿は、私が思う以上に日常的なものだったのだ。
実は、奈良県民になる前にもう、私の柿観は変わりつつあって。
三条通りやJR奈良駅に『柿の専門』というお店がある。
まっしろなお店に、鮮やかな果実が映える空間だ。
ここで、もなかやドライフルーツになった柿を食べて、ようやく幼稚園の頃の記憶を改めることができた。
柿、好きになれるかもしれない。
「実家からたくさん送ってきたんですよ、何個でも持って帰ってください」
ひよっこ奈良県民は、通っている病院で院長さんから柿をもらった。
つやつやとした果実は、手のひらの中で皮をぴんと張っている。
どうやって食べようと悩んだ私は、『柿の専門』で気に入ったドライフルーツを真似てみることにした。
ヘタの方に向かって十字に切り込みをいれ、そのまま割る。
おぼつかない手つきで皮を剥き、薄切りに。
2つ切っただけなのに丸皿いっぱいになってしまった。
まだ使い慣れないオーブンをあたため、100度で1時間じっくりと。
どきどきしながら扉を開けると、まだまだしっとり。
ひっくり返したりして、また30分。またまた30分。
「いらち」な元大阪人にはなかなか厳しい、忍耐力のいる時間が続く。
2回目の加熱を終えたところで根がつき、ややしっとりしたドライフルーツが出来上がった。
丸皿いっぱいだったはずなのに、小さくしぼんで、色はさらに鮮やかになっている。
ひとつ、つまんで。
口に入れれば、かすかな歯ごたえと甘み。
それは、幼少期に顔をしかめた甘みとは違う、秋をぎゅっと凝縮したものだった。
なにもかもがはじめてて、ちょっと力んでいた新生活。
はじめてゆとりのあることをできた、そんな喜びが甘みとともに胸いっぱいに広がった。
キッチンにはまだ柿が載っているし、もしかしたらまたいただくかもしれない。
でも今度は、きっと大丈夫。
ひよっこ奈良県民が秋の終わりに得たのは、柿と、ほんの少しだけ成長した自分だった。
ゆのじ
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