ひとひろ

日常より、もう少し深いところへ。ひびのこと、たびのこと、ならのことを綴ります。

ひとひろ

*初めてのデートと怪獣

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その人と出会ったのは、寒さもやわらぎはじめた、冬の終わりの頃だった。
学校以外の縁で、奈良に知り合いができたのが嬉しくて、もっと話してみたいなと思った。
駅前の行基像。
こんなにそわそわした気持ちで待ち合わせるのは、何年ぶりだろう。

今では毎日見ている風景だけれど、季節の気配に、ふと思いだす。
春の日。初めてのデートの日。

奈良が好きなのだと気がついて、でも気付いたときにはどうしたらいいかも分からなくて。
とにかく、奈良をもっと知りたい時期だった。
そんな折に出会ったその人は、なんだかやたらと奈良に詳しくて。
ディープな情報をたくさん教えてくれるものだから、わくわくした。
(天川大弁財天の鈴の話も、そのとき初めて知ったくらい、私は青かった)

その日のお天気はとてもうららか。
梅か桃は知らないけれど、やわらかいピンク色の花があちこちでほころんでいた。
さあ、どこへ行こう。
学生時代にもっと色々訪れていればよかったなと、一抹の後悔が胸をさいなむ。
それでもとにかく、自分が知っている奈良を伝えたくて、ならまちを先に立ってどんどん歩いた。

興福寺方面へ足を伸ばしたとき、ふとあることを思い出す。
「そうだ、こっちに前、面白いものがあったんですよ」
猿沢池から春日大社の一の鳥居へ向かう道端で。
なんとなしに、思い出したままに口にした。

「怪獣?」
相手はさらりと、答えを返してくる。
「えっ、そう、怪獣!」
「お地蔵さんの前におったやつやろ」
「そうそう! すごい、知ってる人おった!」
その場で飛び跳ねんばかりの勢いで、興奮した。
よもや、知っていようとは。

道端にあるのは、小さなお地蔵さん。
そこには、お地蔵さんを守るようにして、ウルトラマンに出てきそうな怪獣の人形が立てられていたことがあるのだ。
誰が置いたものなのかも分からぬ、名もなき怪獣だった。
いつしかいなくなってしまったから、もう本当にあったのかも分からない。
人の記憶は風化する。
もう私も、怪獣がいたことに確証を持てなくなりつつあった。
だから、とっておきの奈良の秘密を知っている仲間に出会えたことが、嬉しくてならなかったのだ。
その日はたくさん話をしたけれど、そのやりとりだけは、今も鮮明に思い出せる。

***

この人と、もっと色んな奈良を見てみたい。
彼が「怪獣?」とさらりと答えた瞬間、もしかしたら私は恋に落ちたのかもしれない。
ちなみに、その日は「市中引き回しの刑」のようであったと今も語りつがれている。
歩くのが好きな私のペースで歩き尽くしたから、翌日筋肉痛になったよと連絡がきた。
そんなメッセージに、私は携帯を握りしめて、ひとり笑った。

もう怪獣は戻ってこないけれど、私の隣には奈良を一緒に歩いてくれる人がいる。

「なあなあにーさん、あの怪獣は夢やったんかな、でもおったよな」
「おったおった、夢ちゃうよ」

知っている人がどれくらいいるのかは分からないけれど、あの怪獣を覚えている人は、私にそっと耳打ちをしてほしい。
奈良の深みにはまったきっかけのひとつだから。
とっておきの、奈良の秘密だから。

初めてのデートも、怪獣も。
いつの日かの夢ではなく想い出として、私の中に息づいている。
そんなことを思い出した、春の日。
また、散歩にいきたい。

ゆのじ