ずいぶんと久しぶりに、ブログのカテゴリの整理をした。
色々な企画を考えて記事を書いては、頓挫して。
読み返すのも恥ずかしい記事もたくさんあるけれど、青さも含めてこのブログだと思って残している。
日々のこと、旅のこと、奈良のこと。
最終的にカテゴリの大枠は、ブログの紹介文の三つに集約された。
気がつけば、このブログを開設して十年が経とうとしている。
中学生の頃からブログを書いている(更新頻度はいつも亀)ので、人生の半分以上はよしなしごとをインターネットの海に吐き出しているらしい。
カテゴリを整理して、少しすっきりしたところで、次に書きたいものが思い浮かばない自分に気がついた。
越えられない壁の前にいる。
毎日荒波に揉まれているはずなのに、逆に凪だとすら感じられていて。
大きな感情に呑まれているうちに、何をしたいのか分からなくなってしまっている。
やりたいことって、なんだっけ。
やりたいことリストを今年も考えたけれど、それ以前の問題が立ちはだかっている。
だから力を振り絞って、久しぶりに本を手に取った。
一年ほど前に読了した、言葉を綴るための本。
『さみしい夜にはペンを持て』
優しい文章を読み進めるうちに、自分の中に渦巻く「コトバミマン」を吐き出したくてうずうずした。
読みかけの本をいったん閉じて、iPhoneのメモ帳に勢いよく言葉を打ち込んだ。
それでも足りなくて、本を読了してから、三年日記に猛然と記憶を綴った。あっさり途絶えていたはずなのに。
ひと息ついて、今このブログ記事を書いている。
さみしさも、悲しさも、たった一日の行動だけでは癒されない。
それでも、器から溢れんばかりの感情の波が少しだけ落ち着いた気がした。
自分だけが読む日記と、ブログの公開記事とは、中身の性質は異なる。
だからこそさまざまな側面から自分の感情をとらえられるのではないだろうか。
誰にも見せない文章も、よそいきがゆえに客観視できる文章も、どちらも私。
三日坊主でどうしようもない私だけれど、どこかの媒体には何かを綴っていたいなと思った。
人はすぐには変われない。
明日の私も何をしたいのか分からないかもしれないし、やっぱり日記を続けられないかもしれない。
でも、まだ行動できる。それが分かっただけでもよかった。
日々のこと、旅のこと、奈良のこと。
カテゴリにはおさまりきらないほどの言葉が、きっと私の中にはある。
自由気ままで、誰に向けての発信なのかも定まらないブログだけれど、十年目の今年も自分のペースで積み重ねてゆこう。
いつか、感情の海でおぼれた日々を、そんなこともあったなと噛み締められるように。
私は今日も、何かを書く。