春、心の洗濯をしにぶらりと沼津・熱海へ。
自由気ままなひとり旅の記録、続編。
普段よりも眠ったのは遅かったけれど、案外すっきりと目が覚める。
身支度をして、朝ごはんを食べに出かけよう!
前日に下見をしていたので、場所は把握できている。バスに揺られて、再び沼津港に向かった。
祝日だったからか、朝の漁港は思いがけず静かだった。はやる気持ちを抑えながら、目的のお店へ向かう。
「にし与」は鮮魚が色々と楽しめる、港町の定食屋さん。
宿泊すれば早く辿り着けるし、行列に並ばなくても大丈夫かなと思ったが、お店の前には列が。
さすがの人気店。でも休日はもっと多いのだろうと考え、ゆったりと待つことにする。
回転が早く、それほど待つことなく入店することができた。悩んだ末に鯵のたたき定食を選ぶ。
(胃袋に恐れることなく、アジフライも頼めばよかった……とこの記事を書きながらも後悔している。美味しそうだったの)
海鮮丼やらアジフライやら、周りの人の注文したものもすべて美味しそう。
わくわくしながら待っていたら、やってきました、新鮮な鯵!
生姜醤油でもりもりといただく。あっという間に食べちゃった。最高の朝ごはんだった〜!
帰りのバスの時間まで港の近くをぶらり。
展望台のある公園を見つけたのでのぼってみたのだけれど、風がすごく強くて飛ばされてしまいそうだった。
私の他に散歩をしている人もあまりおらず。
この、知らない土地で空っぽの状態で、ひとりで立っている時間が好き。
ホテルに戻って、フリースペースからコーヒーを調達し、前日に買ったフィナンシェといただく。
チェックアウトまでのんびり過ごした。
電車に揺られて、再び、熱海へ。
今日はこの旅のメインイベントが控えているのだが、予約の時間までまだあるため、熱海の街をぶらぶら。
さすが祝日、人出が多く、観光地の人混みに慣れている私でもなかなか疲れるものだった。
友人に教えてもらったお店は、定休日でお休みだったので泣きながらガラス越しに店内を眺めた。
ぶらぶら歩いていたら、田原本町(たわらもとちょう)の表記を見つけて思わず駆け寄る(※奈良県の地名)。
田原本町(たはらほんちょう)だった。ここまで来ても炸裂する我が愛よ。
静岡茶が飲みたいなとぼんやり考えていたので、熱海駅近くのホテルに併設されている「和茶房 はしばみ」に入る。
お茶の種類がたくさんあって悩んだけれど、掛川茶にした。ミニパフェも頼んじゃう。
甘味を楽しみ、のんびりとお茶を飲む。よい時間だ。
お茶を飲み終え、時間にはまだ余裕があったけれど、メインイベントが楽しみすぎてそわそわ。
迷うといけないから、と自分に言い訳をしつつ、地図を見ながら目的地を探す。
思いがけず急な坂道が眼前に現れる。晴れ女の私、本日の実績も晴れ。ひいひい言いながら上った。
そして、息を呑んだ。
木々の間から覗く、水平線。
とおくにはただ海が、広がっている。
なんという贅沢なロケーション。階段の上で立ち尽くし、ただぼんやりと海を眺めていた。
旧日向熱海別邸。今回の旅の、目的地だ。
ドイツの建築家、ブルーノ・タウトを研究する先生の授業を大学時代にたまたま受講し、なんとなく意識の端っこに引っかかったままここまで来た。
実現はしなかったけれど、奈良県生駒市に理想の未来都市を計画した話に心が躍ったからだろうか。
こちらの旧日向別邸、大規模な保存修理工事を経て、2021年から完全予約制で一般公開されている。日本で唯一現存する、タウトが手がけた建築だ。
実業家の日向利兵衛の依頼により、何人かの建築家によって建てられたこの建物の、地下室部分をタウトが設計した。
写真撮影は可能だが、SNSにはあげられないので、胸の内にしまっておくけれど、もうとってもとっても素晴らしかった!!
財を惜しまず、細部までこだわって緻密に作り上げられた建物は、そこかしこに職人技が光っていて。
じっくりと解説を聞きながら巡ったのだけれど、本当に贅沢な時間だった。
座った目線の高さに水平線がくるようになっているところとか、たまらない!
旅行後に、このとき撮った写真を友人に見せたら「部屋の内覧……?」と微笑まれるくらいたくさん写真を撮った。
ずっと憧れていた場所なので、行けてよかったなあ。しみじみ思う。
美しい建築が佇む異世界から、熱海の市街地へ戻る。
人の数はさらに増え、みんな楽しそうにめいめいの祝日を楽しんでいる。
お腹が空いてきたし、新幹線の時間まではまだまだ時間があるので、食事をとることにした。
「ハッピーアワー」の文字に惹かれて入ったお店、日本酒を頼んだらグラスいっぱい注いでくれて。
美味しいおつまみと共にひとり酒を噛み締めていたら、つい酔っ払ってしまった。
突発的に決めた旅を満喫できたことにも酔いしれているのか、ふわふわと世界の境界線が曖昧になる、感覚。
押し寄せる多幸感を抱えながら、新幹線に揺られて、関西へ戻る。
食べたいものを食べて、観たいものを観て、行きたいところに自由に行けた、旅だった。
名残惜しさもあるけれど、この旅に行けたことは、確実に私のよすがとなっている。
自分の中の芯を確かめるようなひとときが、人生にはときに必要だ。