気持ちの矢印が外側に向けて描けない。
しばらくブログを閉じてぼんやりと過ごしていました。
久しぶりにカメラを持って散歩をしたので、いとおしい初夏の記録を残します。
初夏の唐招提寺へ
何もやりたくない。
もがくように毎日を生きて、行きたかった旅でなんとか息をして、帰ってきたらまた沈んで。
沈んだらいつかは浮かぶだろうとは思うのに、やりたいことが浮かばない。
そんな私ですが、久しぶりに行きたいところを思いつきました。
GWに、長野へひとり旅に行きました。
その際に長野県立美術館の、東山魁夷館を訪れて。
いたく心打たれたので、今年どうしても唐招提寺にある、東山魁夷作の襖絵を見たいなと思ったのです。
お恥ずかしい話ですが、東山魁夷と長野と、唐招提寺の襖絵、白い馬のいる風景が全くリンクしていなくて。
長野の旅で初めて、すべてが繋がるのだと知りました。
ひとつずつ、貯めてゆけばいいよね。
と、いうわけで鑑真和上に会いに、唐招提寺の御影堂を目指します。
今年は来朝されて1270年、かつ御影堂の修理が完了したことで、公開期間が五日間に延長されていました。
おかげでタイミングよく訪れられてよかった!
実は唐招提寺を訪れるのは六年ぶり。行ったことがある、と自分で思ってしまうのはもったいなかったな。
奈良に暮らして五年経ち、自分の中に馴染みと慣れが生まれていたことを反省します。
御影堂の公開を目指してか、バスには同じ目的地の人がたくさん乗っていました。
本堂にお参りをして、御影堂に向かいます。
混雑を避けるために整理券を配布しているのですが、私がもらったすぐ後に十時の回の整理券が終わりました。タイミングがよかった。
しばらく並んで、ついに御影堂に入ります。靴を脱いで、お堂へ。
お天気がよかったので、お堂の縁側にぽかぽかと陽が当たっていて、靴下越しのぬくもりが心地よかったです。
陽の当たるお寺のお堂を歩くこと、コーピングリストに加えたいくらいに好きなんですよね。
ついつい、しあわせな気持ちでずっとひなたを歩く変な人になってしまいました。
そして、鑑真和上が待つ部屋へ。
まず目に飛び込んできたのは、あお。
東山魁夷が描く『濤声』の美しい海の色でした。大好きな色に、思わずため息が出ました。
ご焼香の列に並びながら、襖絵を横目にじりじりと進みます。
波を表現する、色の滲みが本当に美しかったです。
部屋にはお香のいい匂いが立ち込めていました。
いつの日か教科書でみた鑑真和上と向き合いながら、ひととき、長い年月を感じます。
襖絵は他の部屋にも続いていて、じっくり堪能しました。
長野県立美術館には鑑真和上の故郷を描くにあたって何度も下絵を描き、準備した様子も展示されていたので、完成した作品を観る感慨もひとしおでした。
来られてよかったなあ。
唐招提寺、これだけでは終わりません。
広い境内を、カメラを携えてぶらりと散歩。
鑑真和上の墓所である開山堂へ向かう門をくぐったら。
みどりの、光の海が広がっていました。
見事な苔の絨毯に木漏れ日が落ちて、筆舌に尽くしがたい美しさ。
苔、いいなあ。
長野でもすごく素敵な苔のお寺と出会えたので、私の中でいま苔があついです。
とても久しぶりにX100Vではなくα7IIを連れていたので、レンズがとらえる光に夢中になりました。
カメラを買ったのもちょうど初夏だったので、その当時の気持ちも思い出しつつ。
何度でも撮ってしまう、初夏の青もみじ。
光を蓄えて輝く姿、むしろ葉の一枚一枚が輝いている。生命力。
泣きたくなるほど美しい。
大好きな北野天満宮の御土居に行きたいな、とふっと心に浮かびました。
頭がぼんやりとして考えられなかったやりたいことが、自然と思いついて嬉しかったです。
濃密なみどりに溺れるように、光を追いかけました。
歩いていると、薬草園の表示があって。
2024年の完成を目指して、鑑真和上ゆかりの薬草園の復興をしている一角に辿り着きました。
たくさんの薬草が植え込まれており、これはもしやと思ったら。
ちゃんとありました。大和当帰。
しかも今はちょうど花が咲く時期!
トウキの可憐な白い花を見つけて、にんまり。
あ、私まだトウキのことめちゃくちゃ好きじゃんと思ってちょっと笑ってしまいました。
変わらないようでいて、変わっていて。
変わったようでいて、変わらない。
年月を重ねて奈良やその他のこととの関わり方も変わってきたのかなと思っていたのですが、どっちもどっちで。
案外私はしぶとく好きなものを愛しているようです。
今年こそ、矢田寺の紫陽花に会いに行きたいな。
ちゃんと浮かんできた、次のやりたいことにすこしどきどきしながら、今日もしぶとく生きてやろうと思います。